香柏窯(こうはくがま)

香柏窯

富本憲吉 書

当窯は先祖代々製陶に従事し、郡山藩主、柳澤侯より、木白の名の絶えざる様益々その業を磨くべく、御自ら「香柏窯」と命名せられし窯名と、「楽斎」の号を拝領致し、郡山城下、高田の里に窯を開くこと幾星霜。赤膚焼窯元の一に数えられる由緒正しき坏工匠なり。

父祖代々独自の釉薬、徹底せる手造りの業を専一に木白の轆轤師縫造の手業をも伝え、世に恥じざる作陶をなすこと家訓の第一にして、南都各社寺門跡方よりのご下命多きは正に代々の誉れとなすべきところなり。当窯は、大和第一の尼門跡山村御殿円照寺の御庭焼御手伝、また昭和天皇の御前にて轆轤の技天覧の栄に浴し、大内への献上各宮家御嘉納のこと枚挙に暇なく、富本憲吉先生をはじめ、法隆寺佐伯定胤猊下、薬師寺橋本凝胤猊下がたびたび香柏窯にて作陶を楽しまれた。

また、棟方志功先生をはじめ、宮本三郎、管楯彦、矢野橋村、西晴雲、鍋井克之、斉藤与里、山下繁雄等の名師の来訪跡をたたず今以て交遊の作品を数多に存す。

当代楽斎は春日大社より「春日御土器師」の称号を補任せられし、これ以て祖先精励の賜物と心得、赤膚焼を後世に遺すべく、邁進致しおれば、江湖の識士、益々当窯にお引き立てあらんことを希うと云爾。

陶工 尾西楽斎